流産したときの後悔とどう向き合うか?

流産・切迫流産
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流産すると、自分を責めてしまう

わたしは長男と次男を出産する間に、5回の流産を経験しています。

妊娠という最高の喜びから、ある日突然悲しみのどん底へ…。

「わたしの何がいけなかったの…?」

これまでに自分がしてきた行動を振り返り、
「あれが流産の原因かも…」
「あのとき、ああしていれば防げたかも…」
「私が赤ちゃんより自分を優先してしまったから流産してしまったんだ…」
と、後悔の嵐。

いくら、
「初期流産はお母さんに原因があるわけではないよ」
と言われて頭では理解できても、心が納得してくれない。

「なんとかして救うことができたんじゃないか」
って思ってしまう。

どう慰められても、後悔や罪悪感が完全に消えることはありません。

辛いですよね。

今回は、この“後悔”という感情との向き合い方について、考えてまとめてみました。

誰だって、後悔しなくていい

「誰だって、後悔しなくていい」

…と、いまだから言い切れるのですが、渦中にいる間は流産する度に後悔ばかりしていたわたしです。

流産の原因を考え出すと、どんどん些細なことまで気になりはじめて、
「あのとき自転車に乗ったのが悪かったのかも…」
「体を冷やしてしまったかも…」
「このサプリを飲んでいれば流産しなくて済んだのでは…」
とキリがない。

この気持ち、経験者の方ならわかっていただけるんじゃないかと思います。

でも、不妊治療を卒業したいまだから思うのは、
「後悔なんて、なにひとつ必要ない」
ということ。

過ぎたことを後悔しても現実は変わらないという正論も、もちろんあるのですが、
それよりも、

あなたはちゃんと頑張っていました!

それを声を大にして言いたいです。

頑張っていた自分を思い出してもらいたいです。

流産してしまうと、ダメだった自分ばかりにフォーカスしてしまいます。
でも、それ以上に、

新しい命を喜んだ自分。

体を大事にしようと思った自分。

おなかに手を当てて命を感じようとした自分。

いろいろな、温かい気持ちをもった自分がいたはずです。

そして、その時々で最善を尽くしていたはずなのです。

ここでひとつ、わたしの事例を紹介させてください。

あなたを大事にできるのも、あなただけ

わたしは5回目の流産のとき、切迫流産とわかっていながら仕事を続けました。

仕事を休めなかったというより、悩んだあげく休まなかったのです。

再び妊娠できた喜びもつかの間、不育症治療のためバファリンを飲んでいたにも関わらず8週で出血。

その日から、わたしの心のなかは
「安静にしたって、また流産してしまうのでは…」
という不安と恐怖でいっぱいになりました。

前回の流産から約半年後の出来事で、正直、まだ立ち直れていなかったのだと思います。
突きつけられた現実を受け止められませんでした。

安静生活のために仕事を休むには、職場に報告しなければなりません。
ですが、職場に妊娠のこと、切迫流産のことを打ち明けることは、ものすごく心の負担でした。
(過去に4回、流産、切迫流産で休んでいるのではじめてのことではないのですが、だからこそ…)

結局、もう考えるのも嫌になって、
「なるようにしかならない!」
と開き直っていつも通りの生活をしてしまいました。

現実を直視しようとしなかった、わたしの弱さなのかもしれません。

きっと、ネットの掲示板で相談したら
「おなかの赤ちゃんを守れるのは、お母さんだけだよ!」
「仕事はあなたがいなくてもまわります!」
と、仕事を休むよう助言されたかもしれません。

でも、当時のわたしにとっては、妊娠していることを人に知られずいつも通り生活をすることが、心地よい選択でした。
(一応出血は止まっていて、物理的に動くことができたという前提はあります)

結果、安静生活を送っていたときよりもストレスフリーな状態でした。

時間がある分、心配ばかりしていた安静中より精神状態は健全でした。

そして…、結局5回目の流産を迎えるわけですが…、

これでも、当時のわたしには最善だったのです。

「もしも安静にしていたら…」
と後悔しなかったわけではありません。

でも、そういう選択しかできなかった自分を責めたら当時の自分がかわいそうです。

そのときは、それが自分の100%だったのだと思っています。

流産すると、
「わたしは赤ちゃんより自分を優先してしまった。だから流産してしまったんだ…」
という考え方をしてしまいがちです。

たしかに、赤ちゃんを守れるのはお母さんだけかもしれない。
でも、お母さん自身を守れるのも、お母さんだけです。

流産の原因については、検証しようのない部分がたくさんあります。

もし仮に、母親の行動が影響したのだとしても、ひとつの命を条件を変えてやり直すことはできません。

でも、確かなことは、短くても長くても、どの命も寿命をまっとうしたのだということ。

だから、お母さんが自分を悔いる必要なんてまったくないんです。

人生に“もしも”はない、後悔もいらない

「人生に“もしも”はありません。“後悔”もいりません」

たしか、お坊さんの言葉だったと思いますが、わたしが立て続けに流産して落ち込んでいたときに目に留まり、心に響いた言葉です。

流産した後は、とにかくいろいろな“もしも”を考えます。

「もしも、あの日仕事にいかなければ…」
「もしも、あの時、もっと安静にしていたら…」
「もしも、もっと早く診察していたら…」

そして、それが原因かなんて誰にもわからないのに、自分を責めて後悔します。

でも、人生に“もしも”は、ないんですよね。

いくつ“もしも…”と考えたところで、残念ながらそれが現実を変えてくれることはありません。

だから同時に、できなかった自分を責めて後悔する必要もないのです。

わたしたちはたくさんの選択肢の中から、意識せずともひとつを選んで歩んでいます。
わたしが選んだ道は、一見間違ったように見えても、大きな視点に立てば最善だったはずです。

やむを得ず選んだ選択肢だったとしても、その時点では自分ができる最善だったのだと思います。

だから、たとえどんな選択をしていたとしても、後悔はいらないのだと思います。

「後悔してしまう自分」も認めてあげる

「だれも後悔なんて、しなくてもいいんだよ」

そう言われて、ホッと心が楽になればよいのですが、それでも後悔してしまうときもありますよね。

それはそれでいいと思うんです、後悔している自分を認めてあげれば。

「あぁ、あの選択は間違いだったな、失敗だったな」と。

人は誰でも間違えるもの。間違えない人なんていません。

そして、間違えていいんだと知れば気持ちも楽になります。

たとえば、わたしは切迫流産なのに仕事したことについて、やっぱり後悔してしまうことがよくありました。

「血腫があるのに仕事に行くなんて、非常識すぎたかも…。やっぱり休むべきだったかも…」

これは、いくらいま考えても現実が変わることはありません。

でも、悔いが残っていることも確かなんです。

だったら、
「仕事をしたことは、やっぱりよくなかった」
と自分が感じていることを否定しないで、自分で認めてあげようと思いました。

認めたうえで、では、いまの自分はどうするか?

過去の失敗(本当に失敗なのかどうかは別として)を否定するのではなく、認めて受け止めてあげることで、前に進むことができるのだと思います。

「後悔なんて、したって意味がないんだよ」
と言われると、それはそれで苦しいときもあります。

人間は後悔する生き物です。

それなら、後悔はするけど、その代わり、
「なぜ後悔してしまうのか」
「自分は本当は何を望んでいたのか」
をよく考えて次につなげることが、後悔の生かし方なのではないでしょうか。

わたしは5回目の流産の後、もう一度採卵して、5個の受精卵を凍結することができました。このとき、
「もし、このあと妊娠できてもまた切迫流産になったとしたら、いまの働き方ではやっぱり会社に遠慮してしまうし、精神的につらい」
と考え、思い切って働き方を変える決断をしました。

この時に、働き方を変えられたことで、わたしはその後の治療のストレスを軽減できたし、妊娠したあとの不育症治療を、働きながら乗り越えることができました。

自分の心のクセはなかなか直せるものではありません。

自分が苦しくならない考え方を選びながら、心の負担を軽くすることも必要なのかなと思います。

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