産んでも幸せ、産まなくても幸せ

メンタルケア
Photo by RRice(photoAC)

ここまでブログを書いてきて、ふと、

「わたしの伝えたいことって、結局なんだ?」

と考え込んでしまいました。

そして、改めて気づいたこと。

それは、わたしがブログを通して伝えたいことは、

「産んでも幸せ、産まなくても幸せなんだ」

ということです。

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必ず妊娠できる方法はない

わたしは、最終的に「二人目がほしい」という望みを叶えることができました。

しかし、では自分の経験から、“妊娠できる方法”を導き出せるか…と言われると疑問です。

それは、一連の経験をして、妊娠というものが、本人の頑張りとは全く別のところで動いているような気がしているから。

妊活に意味がないとは思わないし、むしろ体を整えることは必要だし、心の状態が影響するのでは…という経験則はあるけれど、それが100%ではない。

やっぱり最後の最後は、縁とか運とか目には見えないものに動かされていると思う。

わたし自身、二人目不妊と向き合っているとき、希望は捨てたことはなかったけど(希望は捨ててはいけないと思っていた)、同時に、

「叶わないこともあるだろうな」

という諦め→明らめみたいなものも芽生えていました。

だから、わたしが「産めた」のはたまたま。

たまたま縁があって、二人の男の子の親になった。

条件付きの幸せでは、幸せになれない

だから、最終的に産んだわたしが言うのも説得力に欠けるかもしれないけど、

「産まなくても幸せでなくちゃ」

と思います。

なぜなら、

「子どもがいれば幸せ」

というのは、条件付きの幸せでしかないからです。

「条件付きの幸せを探していては、一生幸せはやってこない」

不妊治療を長く経験して得られた法則は、妊娠できる方法ではなくコレでした。

もし、このことに気づかなかったら、わたしは子どもを産んだいまも、目の前にない幸せ探しを続けていたかもしれません。

幸せになるには、いま目の前から幸せを探すことからしかはじまらないと思います。

産んでも幸せ、産まなくても幸せな社会に

授かれなくて辛い思をするのは、いまだに、

「結婚したら子どもを産むもの」

「子どもを産んで一人前」

みたいな社会の空気があることも一因だと思います。

好んで夫婦二人の生活を選んだ人でさえ、たまに肩身の狭い思いをすることがあると聞きます。

人間、自分の経験していないことを真に理解することは難しいです。

だから、わたし自身も、産まない幸せを本当の意味で理解することはできないと思います。

でも、それに気づいていることが、相手の生き方を尊重する第一歩ではないかと。

社会全体が「自分が選ばなかった生き方をもっと尊重できる社会」になっていけば、同時に、不妊で生まれる苦しみや悲しみも減っていくと思います。

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