二人目不妊で悩んだときに出会った言葉「子どもの数に理想はない」

二人目不妊
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子どもの数に理想はない

「子どもの数に理想はない」

こちらの記事↓で紹介しましたが、二人目不妊で悩んでいたときに、お坊さんに教えられた言葉です。

人それぞれ、理想の家族像があっていいし、
「子どもは〇人ほしい」
と思うことが悪いわけではありません。

ただ、一方で、
「子どもは○人いるのが子育てには理想的」
といったものは全くないのだということを、心に留めておくことは大切だと思いました。

そうしないと、「いま」をないがしろにしてしまいそうだからです。

夫婦ふたりのときは第1子を。

一人生まれたら、次は二人目を。

常に、いま目の前にはないものを求めて渇望し、心ここにあらずの状態では永遠に平穏はやってきません。

いまのままでも、まあいっか

長男出産のあとに流産を繰り返し、二人目不妊と不育症に悩んできましたが、この言葉に出会ってから、ひとりっ子は、それはそれで、ありがたいと感じられるようになりました。

不思議なことに、わたし自身が、心からそう思うようになると、いままで以上に、長男の回りに人が集まってくるようになりました。

休日に約束して友だちと遊ぶ機会も増えたし、散歩や買い物に行った先で、偶然、保育園の友達と会って遊ぶことになったり、近所の子どもたちの輪に入れてもらう機会が増えたり。

わたしは、
「兄弟がいないと寂しい思いをさせるかもしれない」
と思っていて、
長男本人も、一時期は「兄弟いいな、ほしい~」と言っていました。
(少子化というけれど、まわりは兄弟がいる子ばかりです)

でも、気が付いてみれば、兄弟でなくても、たくさんの子どもたちが、長男の周りにいてくれる環境になっていました。

おかげで彼は日々、力一杯遊んで夜はぐっすり眠っています。

夫婦で「なんて有難いことだ」と話しました。

もしかして、現実はいままでと何も変わっていないけど、自分たちが、そのことによく気づけるようになっただけかもしれません。

でも、それ(=気づけるようになること)が、いちばん大切なことだと思います。

同じ現実のなかから、幸せを感じられるようになったということだから。

そのおかげか、二人、三人子どもがいる家庭と自分たちを比べる気持ちは、ゆるやかに薄らいでいきました。

「にぎやかそうで羨ましい」とは思うけど、わたしはわたしで、納得のいくまで不妊治療に向き合った結果がいまのままなら、それはそれでいっかと。
それなりに、受け入れられるんじゃないかという気がしてきました。

子どもを幸せの尺度にしてはいけない

わたしたちが勘違いしてはいけないのは、
「子どもは幸せの尺度ではない」
ということです。

子どもは幸せを保証するものでも、幸せの道具でもありません。

子どもがいることを幸せの絶対条件にしてはいけないのだと思います。

この辺は自分自身の心の問題であり、物事のとらえ方一つで、幸せにも不幸にもなれるのだなと思います。

二つの人生は歩めない

もし、このまま二人目を授かることがなかったら、
「兄弟のいる家庭も味わってみたかったな」
という気持ちは、ずっと消えないだろうと、当時思っていました。

一方で、夫婦二人で楽しそうに生活している人をみると、それはそれで羨ましくなりました。
結果のでない不妊治療で心と体をすり減らしている自分と比べると、すごくいまを楽しんでいる、充実の人生のように思えて…。

「子どもは自然におまかせして、そういう人生もありだったのかな」
と思ったこともありました。

でも、誰だって二つの人生を歩むことはできません。

そのことだけは、誰もが平等です。

だから、もし、二人目を授からなければ、もともと持っていた望みとは違ったけれど、わたしは、ひとりっ子を育てるという人生を、たまたま歩まされたんだと思います。

兄弟の数には理想がないから。

きっと神さまは適当に「こっちにひとり」「あっちにふたり」と割り当てているんじゃないでしょうか。

わたしのところには、一人だけ、ポンと授けた。

だから、わたしは神さまの気まぐれで、たまたま、ひとりっこを育てる人生を歩んでいるだけ。

そこに、それ以上の深い意味はない。

深い意味はない以上、その人生を楽しいものにするかどうかは、わたし次第。

「これは、わたしが選んだ人生」と胸を張って生きている人、生きようとしている人は、子どもがいる、いないなど全く関係なしに素敵です。

わたしも、そうでありたいと思いました。

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