流産は誰にでも起こりうることだけど…
絨毛膜下血種による不正出血から二人目を10週で流産。
それはあまりに突然で、あまりにもあっけなく終わりました。
とても驚いたし、自分を責めたし、悲しかったけれど、それでも立ち直りは早いほうでした。
医者からも、家族や職場、友人からも、
「流産はよくあること」
「わたしも経験したよ」
と声をかけられました。
自分でも「そうだよね」と思いました。
もう38歳だし、確率的には起こりうることだと。
ところがわたしは、それから40歳までの3年間に、流産を5回経験することになります。
妊娠という最高の喜びから、流産という悲しみのどん底へ、何度も突き落とされるような経験の繰り返し。
「こどもを望むことが私にとって本当にしあわせなことなの?」
と自問自答しました。
目の前の生活には幸せなこともあるし、周囲には子を持たなくても楽しく生活している友人もいます。
それなのに、「子どもがほしい」という、たったひとつの望みが叶わないために、モヤモヤと心の晴れない自分がいます。
本来、子を望んでそれを待つ期間はワクワクして楽しいものであっていいはず。
しかし、長引く治療や繰り返す流産のために、私のベビ待ち期間は辛い苦行のよう…。
虚しいような、情けないような。。。
長い間、不妊治療を受けてきて、子どもを授かれるかどうか、人の手でコントロールできる部分はほんの入り口だけと知りました。
授かるかどうか、授かった命が生まれてくるかどうかは誰にもわかりません。
「そこにすがっていては、心の平穏は一生訪れないんだろうな」
と察するようになりました。
流産の先にみたもの
二人目不妊と不育症。ふたつのことに向き合いながら、こんな風に思うようになりました。
「もし、この先、妊娠・出産できなかったとしても、この治療期間を大切にしたい…!」
「心配や不安なことばかり考えず、できるだけ穏やかな心で日々を過ごしたい…!」
「願いが叶わなかったとしても、落ち着いた気持ちで治療を卒業したい…!」
「そうでないと、これまでの長~い治療期間の頑張りが報われない…!」
二人目を諦めたわけではありませんでした。
でも、「授かれない可能性も大いにある」ということは理解できていたので、
仮に二人目を授かれなくても、それを受け入れる覚悟は早めにもっておいたほうがいいと、わたしのなかの防衛本能が言うのでした。
「二人目を授かれなくても、それを受け入れる覚悟をもつ」
意外にも、その覚悟が残りの治療期間を支えてくれたようにも思います。
その後の次男の誕生は、わたしにとって奇跡としかいいようのないものでした。
次男を授かったことは、ひとえに私の状況に応じた医療的処置をしてくださった不妊治療、不育症治療の先生方のおかげです。
それと同時に、
抑えても抑えても湧き上がる不安な気持ち、辛い気持ちをどうにかするための ヒントとなる言葉や考え方を、いろいろな方々(の本やブログ)から頂戴し、心の栄養を得たことも大きかったです。
それが、元来、心配性で打たれ弱い私の心の財産として残ったのでした。
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