自分を幸せにするのは、いまの自分
二人目を熱望するあまり、目の前の幸せを感じられなくなっていた時期がずいぶん長くありました。
目の前には、いつもと“変わらない日々”があるのに、“変わらない(妊娠できない)”ことで幸せを感じられないという矛盾。
出口の見えない心の苦しみから逃れたいと思いました。
そんなときにどうしたかは、こちらの記事にも書きました。
そして、もうひとつ自分に言い聞かせた言葉があります。
「未来に予定されている出来事が、自分を幸せにしてくれているのではない」
不妊治療中は、“子どものいる幸せな未来”を頭で描いています。
想像や妄想でハッピーな気分に浸れるならよいのですが、わたしの場合、子どものいない“いま”と“未来”に差を感じて落ち込む原因になっていました。
「いま」が幸せなら、「未来」も幸せ
本来、自分の描く未来が幸せかどうかは、いまの時点では誰にも分からないことのはずです。
そして、ただ一つはっきりしている幸せ、それが、“いま目の前からみつけることができる幸せ”です。
いま、ここに幸せがあれば、仮に願いが叶わなかったとしても(授からなかったとしても)、現状が不幸に変わってしまうわけではない。“いま、ここにある幸せが続いていくだけ”です。
でも、目の前に悲しみしかなかったら…?
陰性が続いて落ち込んだり、流産で悲しみに暮れているようなときはどうしたら…?
わたしの場合、陰性や流産そのものの悲しみを消すことはできなかったけど、こんな風には考えることができました。
「これは、旦那さんととわたし、長男の家族3人の時間が延長されたのかもしれない」
「であれば、3人家族の時間をもっと大切にしておきたい。それはそれで大切な時間の過ごし方だ」
「いまだからできること、行ける場所は山ほどある。それを想像するとちょっと楽しい」
“いまの生活の延長線上にある”楽しい未来も想像することができました。
子どもが欲しくて不妊治療しているので、「子どもがいなくても幸せ」と思い込むなんてことはとてもできません。
でも、「子どもがいない生活のなかにある幸せ」なら見つけることができます。それは、いまの目の前から探すことができる幸せの延長にあるのだと思います。
いま、この時を大切に
人は、“いま”のことを考えている時間て案外少ない気がします。
過去のことや未来のことに思いをめぐらせている時間がなんと長いことか…。
あらためて“いま”に集中しようとすると、(はじめは無理やりな作業になるかもしれませんが)、いままでは気にもかけなかった小さな物事にも幸せは潜んでいると気づきます。
少しでも「いま、この時をもっと大切にしよう」と思うことができれば、それは既に幸せな発想な気がします。そして、その幸せに、さらに積み重ねられる幸せがないかを考えているのもいいと思います。
いま、目の前のことを二の次にして、未来の幸せばかり思い描いてはいないか…。
あらためて、こころに問いかけてみたい部分です。
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