流産による悲しみ。
いったいいつまで続くのだろう…。
立ち直ることができるんだろうか…。
この悲しみを乗り越えることはできるんだろうか…?
今回は、そんな「悲しい気持ちの乗り越え方」について考えてみました。
後悔することと、悲しむことは別
流産は、誰にとっても辛い出来事です。
「あのときこうしていたら…」と、たくさんの後悔が自分を責めます。
でも、本当は何ひとつ、後悔なんて必要ない。
5回の流産を経験したわたしは、そう思っています。
だって、お母さんは最後まで、ちゃんと頑張っていたはずだから…。
そして、勘違いしないようにしたいのは、後悔はしなくていいけど、流産したことを「悲しんじゃダメ」ということではない、ということです。
流産直後の心の中は、いろいろな感情がごちゃ混ぜになっている状態ではないでしょうか。
悲しみ、後悔、罪悪感、疲労感、虚しさ…。
実際、わたしの心の中はこれらの感情が鎖でつながって絡み合っているいるような状態でした。
まず、絡まった鎖をほどいてやる必要があります。
後悔して自分を攻撃してしまう感情と、悲しむことは分けて考えるべき。
後悔はしなくてもよいですが、だからって、悲しみが消えるわけではないですよね。
あんなに待ち望んだ我が子がおなかに宿ったのに、あまりにも早すぎるお別れ。
気の済むまでしっかり悲しむことは、立ち直るためには大切なステップだと思います。
流産して悲しいのは当たり前
悲しみは魂にとっての薬である
「思考は現実化する」ナポレオン・ヒル
これは成功哲学を広めたナポレオン・ヒルというアメリカ人が語った言葉です。
悲しみはその人自身の心を成長させる、悲しみは魂を高めるという意味合いで書かれた言葉でしたが、わたしは別の意味でも受け止められると思いました。
辛いことがあったとき、悲しむという行為がその人自身を癒しているんだろうなと思ったのです。
わたしは流産の後、
「悲しんでばかりいないで、できるだけ早く立ち直らないと…」
と思っていた節があります。
いつまでも悲しんでいると、家族に気を使わせる。
職場でも、気丈でいないと心配をかける。
落ち込んでないで早く普段の生活に戻らないと。
いつまでもクヨクヨするのは見苦しい…と思っていました。
でも、あるセミナーに参加し、同じく流産や死産を体験した方々の話を聴いて
「流産して悲しいのは当たり前のこと」
「何年経っても、そのことを思い出せば涙がでるもの」
「そういう自分でいていいんだ」
ということに気づかされました。
「思う存分悲しんでいいんだよ」
と言われただけで、ずいぶん気持ちが楽になりました。
グリーフケアについては勉強不足ですが、悲しみが立ち直りには必要ということは、なんとなく理解できたような気がしました。
悲しい気持ちにフタをせず、自分のなかにある大切な感情として扱ってあげることが、心が回復していく過程で必要だと思いました。
悲しみの波は“乗り越える”のではなく“かわす”
そのときの講師の言葉で印象に残っているものがあります。
「生きていく中で、どうしても流産したことを思い出してしまう瞬間がある。それは、波が海岸に押し寄せるように必ず来る。でも、だんだん、その波を“かわす術”を自分で身に付けられるようになった」
流産という喪失体験は、生きている間、ずっと自分についてくるものなのかもしれません。
普段は忘れていても、街で妊婦さんを見かけたり、親戚の赤ちゃんと会ったり、何かのきっかけでふと思い出し、その度に心が締め付けられるような辛い気持ちになるかもしれません。
そんなとき、
「悲しみを乗り越えようとするのではなく、かわす」
その発想に、わたしはとても救われました。
そもそも、悲しみは乗り越えないといけないものなのか?
乗り越えよう、克服しようとすること自体が、自分をますます苦しめはしないか?
それ以前に、とても乗り越えられる気がしません。
かわし方は、何かに取り組むことだったり、もっとメンタル的なことだったり、人それぞれ違うのかなと思います。
わたしの場合、心に悲しみがよみがえってきたら、
- まず、いまも悲しいと思ってしまう自分を否定せずに受け入れる
- そのうえで、いまに集中。目の前にあるものをしっかりみつめる
- そして、その中にしあわせを感じようとする
そんなことを繰り返しています。
とても地味で地道…。
いま、流産の悲しみは、自分のなかに蓄積されて心の栄養になったという感覚がでてきました。
かわしていたつもりが、いつの間にか吸収していった?
まさにナポレオン・ヒルの言う「悲しみは魂の薬」なのかもしれません。
<流産関連記事>
コメント