不妊症に不育症、終わりのない不安とどう付き合う?

メンタルケア

こんにちは。不妊・流産・不育症経験者の やまだ ひまわりと申します。

わたしのブログでは、望まぬ現実(不妊・流産…)に直面したときに、いかに心おだやかに過ごすかを実体験をもとに書いています。

この記事では、不妊治療や不育症治療をしているとき、常に心のなかにある「不安」についてまとめてみました。

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不安は順番にやってくる

ひとくちに不妊治療といっても、妊娠に至るまでにはさまざまなステップを乗り越えなければなりません。

体外受精や顕微授精となれば特にステップが多く、そのどこか途中でうまくいかないことがあると、せっかく進めてきた治療が中断してしまいます。

わたしは、治療を進めている間中、
「採卵はうまくいくかな…」
「受精卵はできるかな…」
「無事に移植できるかな…」
「着床するかな…」

と、次々と不安に襲われていました。

だから、陽性反応が出たときは、それまで心配した分、天にも昇るほど嬉しかったです。

「あ~、神様はいたっ!」
「いままでの苦労がむくわれる…!」

しかし、喜びと感動で舞い上がる気持ちが一旦落ち着くと、目の前にはまた新しい不安が待っていることに気づきました。

願いかなっての妊娠なのに、不安はなくなりませんでした。

陽性反応が出たら出たで、
「胎嚢は見えるだろうか…」
「心拍は確認できるだろうか…」

心拍が確認できたあとは、
「10週の壁は超えられるだろうか…」

10週を超えたら、
「安定期を迎えられるだろうか…」
「赤ちゃんに障害はないだろうか…」

安定期に入ったら、
「また出血しないだろうか…」
「急に心拍が止まったりしないだろうか…」
「分娩中に障害が残ったら…」

もともと心配性な上に流産への恐怖が重なり、いつも不安を探し出しては心配しているような状態でした。

不安って、そもそもなんだろう?

こんな不安ループに陥ったわたしですが、ひとつ気づいていたことがあります。

わたしがその時々に感じていた不安は、ぜんぶ未来のことなんですね。
まだ見ぬ先ことで、目の前のことではないのです。

―― 「不安」には、なんの実態もない。

もっと若いころに、まったく別のことで悩んだ時期があったのですが、その時に読んだ仏教の本に、こんな話が紹介されていました。
“だるまさん”として知られる僧侶・達磨大師と弟子の会話です。

あるとき、弟子の慧可(えか)が達磨に言いました。

慧可「先生、私は不安です。どうか私の心を安らかにしてください」
達磨「そうか、ではお前の心を安らかにしてやろう。ここに不安の心を持ってきなさい」

慧可は不安の心を探しますが、どこにも見つけることができません。

慧可「不安の心を探しましたが、ここにもってきてお見せすることができません」
達磨「そうか、ではもう安心だな」

一休さんのとんちみたいな話ですが、この話をはじめて読んだとき、妙に納得しました。

わたしは「ここにないもの」のことで頭のなかをいっぱいにしているんだと。

では、いま目の前には何があるのか…。なかなか授かれないけれど、それでも、

  • 治療できる時間とお金はなんとか確保できている
  • 治療を進められるだけの健康な体がある
  • 旦那さんも協力的、同じ方向を向けている
  • カフェインレスを楽しんだりして、気分転換はできている
  • 長男が健康でいてくれるから二人目を考えられる
  • あったかいお風呂とおいしいごはんで「幸せ~!」と思える

小さな幸せは、数えればキリがないほどあるのでした。

「未来の不安」と「いまの幸せ」。

どちらに目を向けながら暮らすのが楽しいかは言うまでもありません。

だからといって、完全に不安をなくすこは難しいです。
わたしも、結局は先に上げたような不安をまったく感じなかった日はありませんでした。

でも同時に、いまの幸せも意識的に感じるようにしていました。
この「意識的に」というのがポイントなんだと思います。

悲観主義は「気分」、楽観主義は「意思」

悲観主義は気分によるものであり、楽観主義は意思によるものである

これもわたしが「なるほど!」と思った言葉です。
『幸福論』の著者として知られるフランスの哲学者・アランの言葉だそうで、悲観主義=つまりネガティブな気持ちは、放っておくと、とどんどん大きくなってしまうそうです。

これにはとても納得しました。

心配事って考えれば考えるほど、どんどん膨らみませんか?
(心配や不安を大きくする方法ってとても簡単で、何もせずじっと座って、ひたすらそのことについて考えることなんですって)

よく辛いことがあったりすると
「ぱっと気分が晴れるようないいこと、おきないかな~」
って思ったりします。

でも、逆なんですね。
いいことがやってくるのを待って、いい気分を迎えるのではなく、いい気分になるためには、ちゃんとそれに取り組まなくてはならない。
気分をほったらかしにしてはいけないんですね。

いまある幸せに目を向ける

気分をほったらかしにしないための方法が、わたしにとっては意識的に目の前にある幸せを探すことでした。

頭の中が不安でいっぱいになりそうなときには、できるだけ目の前の幸せを見つけて感じるようにしました。

たとえば、
わたしが最も不安を感じる状況って、移植後の判定待ちなのですが、
「今回は妊娠してるかな、ダメだったらまた落ち込む…」
と、気が付けばそのことを考えているような状態です。

そんな時、この心配はそのままそっとしてきます。
無理に消そうとしません(消そうすると苦しいです) 。

そして同時に、いまの目の前の幸せも探してみます。
「ひとまず、 移植 が無事できたことが感謝だな」
「会社を早退させてもらえてありがたいな」
「治療に使う時間とお金はなんとかなってるな」
「移殖のあとに、カフェでリラックスできたな」

というふうに。

そうすると、現実は何もかわっていないけど、ちょっと前向きな気持ちが生まれてくるのでした。

できるときもあれば、できなかったときもありますが、取り組んだことがとってもよかったと思います。

心をネガティブ→ポジティブにシフトできる瞬間はあきらかに増えました。

「気分は自分の意志で持ち上げられるんだ」と思いました。

不安を払拭しようとしたり、不安を無理やり「大丈夫!」と思い込むのはしんどいですが、その気持ちは無理に消さない代わりに、意識的に目をそらすようにする。そして別の部分(いま目の前の幸せ探し)で気持ちを持ち上げる。

続けてみると、これが長くて待ちの多い不妊治療・不育症治療のメンタルケアには効いてきます。

「いまある幸せを感じる」
その癖が少しはついたおかげで、最近は、割と穏やかに日々を過ごせている自分がいます。

もともと心配性なので、このことには治療を卒業したいまも取り組んでいます。

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