最後の1つ。移植を前に思うこと
採卵から約半年。
こんなに早く、最後の1つを戻すことになろうとは思ってもいませんでした。
これまでは
「5つもあるのだから、きっと大丈夫」
という安心感に支えられて移植に臨んできましたが、ここまでくると
「もし、これも陰性だったら、わたしは治療を卒業するだろうか、それともまだ続けるだろうか」
と考えざるを得なくなっていました。
一方で、
「いまに集中しよう」
と思いました。
いままで妊娠できない日々を過ごしたり、流産を繰り返したりするなかで、どう気持ちを保ち、どう立ち直るかということを、私なりに考えてきました。
そして、過去の後悔や未来の不安をできるだけ心から追い出して、目の前のことに集中し、いまに感謝することが、とても大切だと思うようになっていました。
「もしかして、今回の移植が人生最後になるかもしれない」
それであればなおさら、この機会を大切にして、体調も整えてその日を迎えたいと思いました。
不安はあるけど、できるだけリラックスして。
おなかに戻せることに感謝して。
体を冷やさないように、風邪をひかないように。
ホルモン補充周期から、はじめての自然周期へ
5つ目を戻すにあたって、先生からある提案を受けました。
先生「目先を変えて、自然周期でやってみるのもいいかもしれないよ」
私はこれまでずっとホルモン補充周期で胚移植を行ってきました。移植日をあらかじめ決められるので、休みをとりやすいからです。
でも、こう連続で陰性になってしまうと、何かを変えることで状況を変えたい!思ったのも事実。既にハッチング処理やSEET法(シート法)も行っているので、ほかに新たにできることがない状態。
最後になるかもしれない移植で、新しいことにトライするのは不安もありましたが、生理周期は整っていたので(短くはなっていたけど)、「提案を受けたのも何かの縁」と思い自然周期で戻すことにしました。
ストレスが軽減された自然周期
自然周期は自分の排卵のリズムにあわせて移植日を決めるため、排卵前後に通院が少し増えるし、移植日が決まるのも直前です。でも、そのときは仕事よりも、後悔のないように治療をすることが優先だったので、あまり気にしませんでした。
そして自然周期にしてみると、楽なことが多かったです。
いちばん大きく違ったのは、飲む薬の量がかなり減ったこと。
ホルモン補充だと、ホルモン状態を薬で調整していくため、たくさんの薬を飲みます。わたしの場合1日の薬の量が3種12粒でした。
服薬を辛いと思ったことはないのですが、いざ、それがなくなってみると、ずいぶん解放された感じがしました。意識せずともストレスだったのかも…と、なくなってはじめて気づきました。
移植前後の通院も、1、2回多かったくらいでした。
移植の前は、ついついあれもこれも、妊娠につながりそうなことは何でもやりたいと思いがちですが、そのときは「できることだけ、しっかりやろう」という心境でした。
- 早寝早起き、睡眠はたっぷり
- 食事は規則正しく、でも好きなものも我慢せず食べる
- 運動は自転車で通勤するからそれでいいかな
- 体は冷やさないように、できるだけ湯舟で温まる(冬でした)
- あとは考えすぎないように…
移植できたことに感謝する日々
移植当日は、午後休みを取って病院に行ったのですが、実はかなりバタバタでした。
その日にやっておきたい仕事を片付けていたら思ったより時間がなくなってしまい、ちょうどいいタイミングでトイレに行くのを忘れていました。
移植の日は「おしっこを貯めてきてきてください」と言われます。そのほうが子宮がまっすぐになって移植しやすいのだそうです。
わたしはトイレが近いので、予約時間の1時間前に一度トイレにいっておけばちょうどいいかな、と思っていたのにそれを忘れたので、病院に着いた時には「あ~早くトイレいきたい!」という状態でした。
仕方がないので我慢していたのですが、移植の時、先生や看護師さんがエコーをみながら、
「子宮がまっすぐ~!」
「こんなキレイなのはじめてみた~!」
と軽く盛り上がっていました。結果、よかったのかなと(笑
こうして、卵がおなかに戻ってきました。
無事に済んだことにとても安堵しました。
そのときのわたしは、子宮に何か温かいものを感じていました。
少なくともいまは、おなかに赤ちゃんの卵が宿っている。
妊娠しているとはいえないのかもしれないけど、無事におなかに戻ってくれたことが感謝でなりませんでした。
幾度の流産を経験して、
「それぞれの命の種は、それぞれおの寿命をまっとうしている」
という考え方にも触れました。
だから、
「この子はこの子の寿命をまっとうするだけ」
「わたしはそれをサポートしてあげよう」
と思うようにしました。
「きっと陰性なんだろうな」
という諦めの気持ちもありました。
覚悟はあっても、
「陰性だったら、ものすごく落ち込むだろうな」
と思いました。
でも、それと同じくらい温かい気持ちも芽生えていました。
なにより、もしこれが、わたしにとって最後の胚移植になったとしたら…。
そう考えると
「たとえ陰性でも後悔しない過ごし方をしたい」
「できるだけ長く、おなかに命を感じる幸せな時間を味わっていたい」
と。
そんな心境になれたからなのか、それともただ結果を知るのが怖かったのか、はじめてフライング検査をせずに判定日をむかえました。
反対に、判定日が近づくにつれて憂うつになってきました。
運命を変えた判定日
判定日は憂鬱でした。
結果を聞きに行くのが辛かったです。
いままでは陰性でも、残りの卵を戻すという「次」がありました。
でももう「次」がない。
「結果を聞いてしまったら、次のことを考えないといけない…。でもどうしたいのか自分でも分からない…」
融解失敗と3回連続の陰性。そして40代の妊娠率。それらを冷静に考えるとこの移植が陽性である確率は限りなくゼロに近いはず…。
病院の待合室では「不妊治療 諦める」で検索して体験談を読んで気持ちを落ち着けようとしました。
「不妊治療はどこかで終結しないといけない」と日々思いながらも、結局、土壇場になるとまだまだ決断できない自分でした。
診察室から呼ばれ、重い足取りで扉を開けると、目を疑う結果でした。
先生「陽性だったよ」
「え…!」
最後の1つが無事に着床してくれた。
奇跡でした。
神様がご褒美でもくれたのでしょうか。
素直に喜んでいいのか心配になりました。
何がおこったかわからない気持ちの高ぶりの後に、やっと安堵、喜び、感謝の気持ちがわいてきました。
せっかく決まった不育症治療の計画を前に、もう妊娠できないかもと感じるようになり、すべてが遅すぎたのかも…と落胆もしました。
でも、もう一度チャンスを与えてもらえて、やっとスタートラインに立たせてもらうことができました。
感謝、喜び、不安、さまざまな気持ちを胸に抱えて、最後の妊娠生活がはじまりました。
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