不妊治療の辛さと向き合うために。自分の価値観と世間の価値観のはなし

メンタルケア
Photo by Hades(photoAC)
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不妊治療の世界には、「こうすべき」があまりない

不妊治療の世界には、あまり「こうしなければならない」というものはないように思います。

  • どんな不妊治療を受けるか?(どこまでステップアップするか?)
  • いつまで不妊治療を続けるか?
  • 不妊治療にいくらお金を使うか?

すべてに標準というものはなく、それぞれの夫婦が、自分たちの価値観に沿った形で進めるものだと思います。

そもそも、治療をするかどうかも個人の考え方次第。
だから、悩んでしまうという側面もありますが…。

不妊治療で気持ちがくじけそうになったとき、改めて、このことを振り返ってみるのもよいかもしれません。

わたしたちは、誰に強要されたわけでもなく、自分の価値観に沿った道を選んで歩んでいるんだと。

「こんなはずじゃなかった。どこで道間違えた…?」と思うこともあるかもしれませんが、別に道を間違えたわけじゃない。

小さな選択をたくさん積み重ねてここまできています。

自分の選んだ道を歩んできたから、いまここにいる

わたし自身の不妊治療人生を振り返って、どんな選択をしてきたかをまとめてみました。

どんな不妊治療を受けるか?

治療方法については、人工授精で結果がでなかったので、医師の提案のままに体外受精を受けました。

体外受精での受精率が悪かったため“受精障害”と診断され、次はそれに対処する目的で顕微授精を受けました。

どんどんステップアップしていくことに戸惑いながらも、結局は、
「そこに望みがあるなら…」
という気持ちが強かったので、立ち止まることはありませんでした。

ただ、知人には人工授精までという人もいたし、ステップアップよりも漢方での体質改善に力をいれていた人もいたので、
「わたしのような選択をする人ばかりではないんだなぁ」
と感じていました。

いつまで不妊治療を続けるか?

いつまで不妊治療を続けるか?

二人目不妊のときに悩みました。

最初のうちは、ある一定の年齢に達した時がやめどきなんだろう、と思って40歳をひとつの区切りとして考えていました。

しかし、実際にその年齢が近づいてくると、「本当にやめられるんだろうか?」と不安になり、いざ40歳になっても、「ここで諦めよう」とはまったく思えませんでした(汗

結局、やめどきの設定を42歳に繰り上げました(誰に宣言していたわけでもないので)。

その間に、環境の変化、体力の変化、気持ちの変化などを徐々に感じるようになり、
「ああ、授かっても授からなくても、もうそろそろ不妊治療の卒業を考える時期が来たのだな」
と悟ったのでした。

不妊治療のやめどきを考えるうえで、年齢はひとつの指標ではあるけれど、それだけで自分の運命は決められないなと思いました。

結果的に、42歳の次男出産で不妊治療の卒業となるのですが、その最後の妊娠を迎えるまで、いちばん頭を悩ませたのが、この「いつまで不妊治療を続けるか?」でした。

不妊治療にいくらお金を使うか?

わたしは、約9年間の不妊治療でたくさんのお金を使いました。
不育症の治療も含めると総額400~500万円くらいでしょうか。

それだけの金額を治療に充てられるのなら、授かるかどうかは自然に任せて、夫婦で楽しい体験をたくさんするという生き方も考えられました。

それでもわたしは「自分の子を生んで育てる」ことにこだわったため、これだけのお金を費やす人生になりました。

決して楽に支払える金額ではありませんでしたが、腹をくくったというか、それだけの意味のあることと、わたしたちは信じていました。


わたしが受けた不妊治療の全体像はこのようなものでした。

振り返ってみると、たくさんの選択をして、いまに至ったのだということがわかります。

どのことも、治療開始時から決めていたわけではなく、治療が長引くなかで、いくつもの岐路に立たされ、その都度、数ある選択肢のなかから選んだ道を進んできました。

それほど悩まなかったものもあれば、過去にないくらい悩んで考えた選択もありました。

でも、どの選択も「そこに価値がある」と思ったから選んできたことは間違いありません。

時には、辛さを受け入れる覚悟も必要

自分で選んだ道と分かっていても、実際問題、不妊治療は辛いことが多いです。

治療しているのに授からないこともあるし、わたしのように流産して悲しみを背負ってしまうこともあります。

しかし、そのことさえも、他の誰でもない、自分達が選んだ道を歩んでいるからこそ生じている出来事であることを思い出し、心を強くもつことも必要かなと思います。

辛いこと、苦しいことにも、ちょっとした覚悟は必要。
こればかりは人のせいにも、世間のせいにもできません。

自分で選んだ選択肢であることはしっかり認識しておかねばなりません。

自分の価値観と世間の価値観を区別し、整理する

でも、もし、辛さや苦しみが、知らず知らずのうちに世間の価値観や考え方(結婚したら子どもがいて当然など)に縛られてのことだとしたら…。

いま一度、世間の価値観と自分の価値観を区別し、整理して、「自分はどう歩みたいのか」を見つめ直してみるのもいいかもしれません。

その考えは、本当に自分の思いに近いものなのか?

そうして、不妊治療をやめたとしても、それは価値ある選択のひとつなんだと思います。

仮に、わたしが治療を中断して、そのお金で旅行したっていいのだし、積極的な治療はしない方針でいたとして、他人が「体外受精なら妊娠できるかもしれないよ」とう権利はありません。

治療をやめた人に「40歳までは頑張ってみたら?」などとすすめるのも配慮のない話です。

世間の価値観が変われば、個人の価値観も変化していく

ここから先の話題は、本題とはずれるのですが…。

「自分で選んだ道」であっても、結局は世間の影響を受けているなと感じる部分もあります。

わたしが二人目を望みながら流産を繰り返していた頃、特別養子縁組が頭をよぎったことがありました。

生むことにこだわらなければ、そういう選択肢もあるのだなと。

しかし、当時はそれ以上、深く掘り下げることはしませんでした。

不妊治療と比べると情報に接する機会がほとんどなく、足を踏み入れるには高いハードルがあるように思えたのです。

そのハードルの一部は、まだまだ特別養子縁組が身近とはいえない世間の価値観の影響を受けてできているハードルだと思います。

世の中の流れと自分の価値観をまったく区別するというのは、実際は難しいことなのだと思います(子どもがほしいという思いについても)。

仮に、いまの世の中で特別養子縁組との接点がもっと増えれば、不妊症や不育症の患者にとって、もっと早い段階で選択肢に入ってくるのかもしれません。

さらに時代が進んだ先には、なかなか授からない夫婦は、いまほど自分で生むことに執着しなくなるかもしれません。

「自分で生んだ子を育てる」という、いま大多数となっていることが当たり前ではない世の中がやってくるかもしれません。

子は授かりもの、預かりもの、やがて社会にお返しするものと考えれば、本来、誰が生んだかはあまり関係ないという考え方もあるのかも。

社会も家族のあり方も時代によって、どんどん変わっていきます。

子どもは社会で育てるという考えは、今後より広がっていくべきものと思います。

それによって個人の価値観も変わっていけば、不妊治療で高額な治療費を払い、辛い思いをする人は今より減るかもしれないと思うのでした。

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