幻に終わった妊娠。39歳で顕微授精を再開
3回の流産までは、すべて
1年以内に起こった出来事でした。
2回目、3回目については、妊娠そのものが予想外だったこともあり、
落ち込みはしたものの
「今回は残念だったけど、きっとまた妊娠できるよ」
と前向きにとらえることができました。
しばらくは顕微授精を休み、以前から気になっていた漢方薬局に通い、漢方で妊娠力を高めようと試みました。しかし、それで妊娠することはありませんでした。
そして二人目を諦められたわけでもなく、再び採卵を決意。
3回目の流産から約1年後に、顕微授精で陽性反応に出会います。
バファリンを飲んでも出血して自宅安静に
今回は、不育症の対策としてバァリンを服用しています。
子宮内に血栓ができるのを防ぐためです。
ところが、また5週から鮮血の出血がはじまってしまいました。
そして絨毛膜下血腫。
「バファリン飲んでるのに…!」
出血しやすい要素をすでに持っているので、薬を飲んでいるから出血しないというわけではないらしいのですが、やっぱり期待してしまいます。
これで自宅安静は3回目。
休むためには、職場に報告しなければなりません。
「言いづらい…」
本当はまだ、妊娠を隠しておきたい時期です。
何度も同じことを繰り返して、恥ずかしいし情けないし。
(本当はそんなこと全然ないのですが)
報告することを考えただけで具合が悪くなりそうでした。
でも、迷っている場合でもありません。
たった今から、早退して安静にしないといけない。
もう辛い思いはしたくない!
いま自分を優先しないでいつ優先する!
自分をふるい立たせながら上司に相談しました。
きっと、「また?」と驚かせたことでしょうが、快く休ませてもらえ、理解のある職場だったことが唯一の救いです。
約1ヵ月間、仕事を休み、家事と長男の世話以外は寝たきりの生活。
安静に過ごす1日って、本当に長いです。
具体的にどこかが痛いわけでもないので、動けるところをじっとしていないといけない。
時間だけはたっぷりあるから、ついついスマホで検索したくなります。
不安だから調べるのに、結局余計に不安になってしまったり…。
「また流産したら…」
何回も頭に浮かんでくるこのフレーズを必死にかき消しながら過ごす辛抱の日々でした。
超えられなかった“10週の壁”
できてしまった血腫は小さくなるのを待つしかありません。
1週間、2週間、3週間…。
とにかく辛抱して、できるだけ横になる生活を続けました。
1ヵ月くらい経つと、ようやく血腫が消えそうなくらい小さくなってきました。
そして10週5日目の診察の日。
「今日の診察でOKなら、やっと普段の生活に戻れる…!」
期待しながら診察へ。
ところが、
先生「ん?…動いてないかも」
「…え?」
自分でもエコーを確かめました。
目を疑いました。
でも、エコーって、まず間違いないんですよね。
体は先週より大きくなっているのに、もにょもにょと動いて見える心拍が確認できませんでした。
信じたくない気持ちを抱えたまま、3日後に受ける掻爬(そうは)手術の手続きが進みます。
術日当日にもう一度エコーを見せてもらいましたが、やっぱり赤ちゃんの心臓は動いていませんでした。
バファリンは…。
安静生活は…。
いったい何だったんだ…。
頑張った分、期待していた分、落ち込み方も半端なかった4回目の流産でした。
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