財布をなくしてはじめて気づいたこと
わたしは用心深いわりに、肝心なところがぬけていて、財布とか鍵とか、大事なものをよくなくします。
「財布がない!」と気付いたときは本当に焦ります。
「どこかに落としていたら…悪用されたら…」と心配になり心臓がバクバクします。
見つかるまでは心ここにあらずで、何をやっていても落ち着きません。
だから、いざ見つかったときの安堵感も半端ないです。
「悪用されなくてよかった~」
「免許証やカードが再発行にならなくてよかった~」
と、財布があったことに、とてつもない幸せを感じます。
そして安堵と感謝から、財布があったことと関係ないことにまでウキウキしたりします。
これは、
当たり前に持っているもの(=財布)をなくしかけて、
はじめて、それが存在するありがたみや幸せに気づいたという体験でした。
普段は「財布があること」=「普通」です。
ところが、あって当たり前の財布がいざ行方不明になると、
「財布があること」=「幸せ」「ありがたいこと」に変化します。
同じ「財布があること」なのに、自分の状況が変わることで突然「幸せ」へと変化するのです。
この心の変化は興味深いと思いました。
なぜかというと、
実はわたしたちは、自分が感じている以上に「いま、このままで幸せ」なんじゃないかと思ったのです。
「いま、目の前にあるもの」が当たり前の存在になると、人はなかなかそこから幸せを見つけられなくなってしまいます。だって、いて当然、あって当然だから。
でも、いまいちど「いま、目の前にあるもの」ひとつひとつに、「その存在」を感じてみるとどうでしょうか。
変わり映えしない、新しさもないものも、実はなくなったら不便だったり、もの足りなかったりするものばかり。どれ一つとっても、あってありがたい存在だと気づきます。
ーー身近な物事から幸せを感じることができる。
これは、幸せ体質になるための秘訣だなと思いました。
「目の前にあるもの」の中に、幸せは必ず存在する
前置きが長くなりましたが…、
わたしは二人目不妊のとき、
「目の前にないもの(二人目)」
ばかり追いかけていて、
「目の前にあるもの(わたしの日常)」
の幸せに気づけない時期がずいぶんとありました。
先のことばかり考えて、いまを大切にできていなかったのですが、妊活、不妊治療で結果がでないときに陥りがちな心境だと思います。
「子どもさえいれば幸せなのに」
「二人目がいればもっと幸せなのに」
「それが手に入っていない自分は、あんまり幸せじゃない」
「幸せは、いま手にしていないものの中にある」
でも、あるときから、この考え方をしている限り、わたしの心には永遠に平穏は訪れないと思うようになりました。
こんな気持ちを心の奥底にかかえたまま過ごすのは、ずっと財布をなくしたまま過ごすようで生きづらい…。
幸せは、いまわたしが手にしているもの=「目の前にあるもの」の中にきちんとある。
そう意識するようにしてみました。
たとえば、わたしは家の南の窓から入ってくる日差しが好きなのですが、日差しを感じながら「気持ちいいなぁ、、 暖かいなぁ、、、」とボーっとしていると、「流産が続いたことは辛いけど、でもこの日差しは好きだなぁ」ということは割と素直に感じられました。
もし、「いま、目の前にあるもの」から幸せを感じるのが難しかったら…、
ちょっとした行動に出てみるのもいいかもしれません。
わたしは、コンビニスイーツで十分気分を上げることができました。
コンビニスイーツは美味しい上に、「こんなの食べてみたかった!」と思わせる新商品もどんどん出てきて心を奪われます。
そして、コンビニスイーツひとつで、
- 美味しいスイーツに出会えてよかった
- 近くにコンビニがあってよかった
- プチ贅沢ができるお金があってよかった
など、幸せを感じられる瞬間がでてきます。
「自然」と「美味しいもの」は身近なうえに、幸せを感じやすいと思います。
不妊治療も不育症治療もうまくいかず、「二人目は無理なのかも…」と感じざるを得なくなったとき、
「子どもがいたら幸せ」
だけど
「子どもがいなくても幸せ」
な自分になろうと思いました。
そのためには結局、「いま、目の前にあるもの」から幸せを見出すことからしかはじまりませんでした。
「二人目を授かれない」という、目の前の現実はすぐには変わりません。
しかし、同じ現実を前にしたときでも、その「辛い面、不幸な面」とではなく、いま存在する「ありがたい面、幸せな面」とともに日々を過ごせたら、それはとても素敵なことだと思います。
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