不育症の治療のためにバファリン服用を続けるも防げなかった5回目の流産。
更なる対策として、ヘパリン注射を取り入れることが決定したものの、また不妊治療からはじめなければなりません…。
今回は、40歳不育症患者が、不妊治療から再スタートして妊娠に至るまでの話です。
ひとつ前の記事
40歳で不妊症&不育症。ダブルの悩み
たとえば、風邪をひいて薬をもらったとして、
「どうも薬が効いていないようだ」と思えば、
違う薬をもらうことができます。
しかし、不育症の場合、
「薬が効かなかった」と思うのは、流産したとき。
そして、違う薬を試すためには、
もう一度「妊娠」というひとつ手前のステップからスタートしなければなりません。
治療の甲斐なく5回目の流産が決定したとき、わたしの年齢は40歳。
不育症の治療でトライ&エラーを繰り返している間にも年を取り、どんどん妊娠しにくくなるという負のスパイラルにはまっていました。
そもそも不妊治療をいつまで続けるかという根本的な問題もありました。
もともとは、「40歳まで」と思っていたから…。
でも、まだトライできる治療法があるのに、
それを試さずに諦めてしまったら一生後悔するだろうと思って、
もう一度、顕微授精にチャレンジすることを決断しました。
顕微授精で5つの胚盤胞が育つ
次の妊娠に向けて、もう一度、顕微授精を受けることに、最初はすぐに踏み切れませんでした。
働きながらの採卵は、スケジュール調整がとても大変。
体の負担も心配です。
顕微授精したからといって、必ず受精卵ができるとも限りません。
「妊活はしたい。けど、40歳の自分にはどんな妊活が適しているのか…」
とても迷いました。
それでも顕微授精に進んだのは、医師の、この一言があったから。
「うちの病院では40~45歳の顕微授精の妊娠率は20%です」
とにかく妊娠しなければ、不育症の治療もはじめられない。
焦る気持ちが強かったので、2割の成功率というデータに心が動きました。
そして、人生4度目の採卵にチャレンジ。
顕微授精の結果、過去最高の5つの胚盤胞が育ってくれました。
胚移植しても妊娠できない辛い日々
「あと5回はチャンスがある」
この事実は、いつも不安に押しつぶされそうだったわたしに、ものすごい安心感を与えてくれました。
「きっと…そのうち、1回くらい成功してくれるはず…」
しかし、わたしの期待は裏切られ、最初に移植予定だった胚盤胞は融解失敗。
急遽用意してくれた2つめも陰性に。
3つめも陰性。
4つめも陰性。
あとひとつ胚盤胞は残っているけど、ここまでくると、今回の採卵分は全部ダメかも…と思わずにはいられません。
「30代の頃のように、順調にはいかないんだ…」
「このまま、不育症の治療に辿り着けないまま、わたしの妊活は終了してしまうのかな…」
そんなことも考えてしまう辛い日々。
「いやいや、希望を捨ててはダメ。きっと赤ちゃんは来てくれる。前向きに過ごさないと!」
と自分を励ましてみたり、
「これ以上傷付きたくない…。諦めることも意識しておかないと…」
と守りにはいったり。
わたしの人生でいちばん、考えて考えて、悩んで悩んで過ごした日々。
諦めないけど、諦める準備もする…。
矛盾した気持ちを抱えながら、最後の一つである胚移植の準備をしていました。
最後の胚移植を前に思ったこと
「もしかして、これが人生最後の胚移植になるかもしれないな」
ふと、そんな思いが脳裏をかすめました。
それは、たとえ妊娠できなくても、どこかで治療はやめなくてはいけないという覚悟。
自然と、
「人生最後の胚移植に向けて、どんな風に過ごそうか?」
と考えるようになりました。
これが、よかったのかもしれません。
「なんとしても妊娠したい!」
という気持ちより、
「結果はどうあれ、後悔のない過ごし方をしよう」
という気持ちが強くなりました。
体調を整えて胚移植の日を迎えよう。
不安はあるけど、できるだけリラックスして。
おなかに戻せることに感謝して。
体を冷やさないように、風邪をひかないように。
医師からの提案で、胚移植の方法をホルモン補充から自然周期に変えたことで、薬の量も減り、そのおかげでストレスも減りました。
不妊治療の卒業。不育症治療のスタート
無事に胚移植の日を迎えることができ、おなかに卵を戻したあとは、ひたすらそのことに感謝する日々。
もちろん、不安な気持ちも同じくらい抱えていたけど、
「いまさら足掻いても仕方がない」と、いい覚悟が出来ていたのだと思います。
いままで必ずやっていたフライング検査をやらずに済みました。
その分、判定日は待合室で、もう何とも言えない気持ちだったけど。
悪い結果を聞くためだけに診察に来たようで、
「結果なんて知りたくない…。いまのままの方が幸せだ…。このまま帰りたい…」
そんなことをグルグル考えていた待合室。
スマホで「不妊治療 諦める」と検索して体験談を読み、気持ちを紛らわせていました。
とうとう、わたしの番号が呼ばれ、診察室に入ると、目を疑う現実が目の前に。
妊娠検査薬に、プラスの赤い線がはっきりと表れていました。
「こんなことって、あるんだ…」
5回の流産を乗り越えて、もう一度、不育症の治療にトライするチャンスがやってきたのでした。
コメント