不妊治療の後、世の中が生きやすくなった理由

メンタルケア

こんにちは。不妊・流産・不育症経験者の やまだ ひまわりと申します。

わたしのブログでは、望まぬ現実(不妊・流産…)に直面したときに、いかに心おだやかに過ごすかを実体験をもとに書いています。

いまのわたしは、不妊治療・不育症治療を終えて2年くらい経ちます。

縁か運か2児に恵まれましたが、いまでも「わたしの30代(=不妊治療)は何だったんだろう…」「なぜあんなに必死だったんだろう…」と振り返ることがあります。

同時に、「不妊治療後は、世の中が生きやすくなった」ようにも思います。

それは一体どういうことなのか…整理してみました。

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自分の体験を「肯定していくプロセス」が必要

不妊治療が長くなると、「妊娠」という目標とは別に、「自分の体験をどう肯定するか?」ということにも意識が向くようになっていきます。

妊娠で不妊治療を卒業できればハッピーエンドですが、誰しもがそうなれるわけではありません。

もし、妊娠で卒業できなかったとき。
つまり治療を断念せざるをえなくなったとき。
わたしはそのことを受け入れて、その後の人生を歩けるだろうか…?

自信がありませんでした。

治療後の人生のほうがずっと長いわけです。

だから、「不妊治療の過去」を思い出すたびに辛くなる記憶にはするまい…。

そのために、自分の不妊治療を「これは、これででよかったのだ」と肯定していくプロセスがわたしには必要でした。

不妊治療体験に「意味付け」する

体験を肯定していく過程は、不妊治療が、「自分にとってどんな意味をもつ体験だったのか?」と“意味付け”することからはじまりました。

わたしにとって「不妊治療は、思い通りにいかない体験」以外の何物でもありませんでした。

妊娠できない。

妊娠できても流産してしまう。

医療が介入できるのはほんの入り口だけで、あとはいまだに神頼み。

自分の体のことでありながら、自分ではどうすることもできない無力感…。

これほどまでに思うようにいかない体験は、経験したことがありませんでした。

うまくいかない体験が心に耐性をつくる

では、「思い通りにいかない体験」って、どんな意味があるのでしょう?

わたしにとっては、「自信のない自分の心に耐性を作る糧」でした。

わたしは平凡で保守的な家庭に育ちました。
特別な苦労をしたこともありませんが、特別なチャレンジをしたこともありませんでした。
社会に出てはじめて、自分の「からっぽさ加減」を知り、劣等感を持ちました。

そんな折に経験することとなった不妊治療は、わたし史上最初で最大の挫折体験。

でも、その経験が結果、自分に深みを作ってくれました。

深みというのは、考え方に幅が出来たり、いろいろな立場で物事を眺めたり、困ったときにアタフタしづらくなったり。

あくまで、後になってから気付いたことであって、渦中にいる間はとてもそんな前向きには受け入れられませんでしたが。

しかしながら時間が経つと、少しずつ見え方も変わりました。

上手くいかないことだらけの世の中でも、「あのときに比べれば…」と思うと、目の前のことが何てことないことだと思えるのも事実。

“体験したなりの心の耐性”は付いたのかもしれません。

上手くいかない体験とは、失敗でもなんでもなく、気付きと学びと経験値を与えてくれるものなのだと思います。

わたしの場合、自分の不妊治療体験をこんなふうに意味付けることで、肯定感を持って受け入れられるようになっていきました。

一気にではありません、少しずつです。

それでも生きている不妊治療サバイバー

病気なり災害なり、何らかの逆境を乗り越えた人、あるいはそれと共に生きようとする人のことを“サバイバー”と言いますが、不妊治療経験者もサバイバーなのだと思います。

授かっても授からなくても、自分は生きているし、生きなければならない。

そのために、自分の体験に意味付けして、少しずつ受け入れて肯定できるようになると、同時にほかのもの事に対しても、大きい器を持てる自分がいたので不思議です。

もともとは、「あの経験はわたしには必要だった」という考え方は、負け惜しみや強がりのようで抵抗があったわたしですが、結局、同じことをやっていました。

抵抗があるうちは、まだまだ受け入れきれない時期なのでしょう。

何日も、何年もかけて行う気持ちの整理法なのかもしれません。

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