わたしの頑張りはどうしてむくわれないの?
「妊娠するためにいろいろ頑張っているのに、どうして妊娠できないの?」
不妊治療をしたことのある方なら一度は思ったことがあるのではないでしょうか。
今回は、そのことについて考えてみたいと思います。
妊娠・出産は予想外の出来事の連続
これまでの人生を振り返ってみると、幼少期から学生時代を経て社会人になり結婚して…、たいていのことが、それなりに「なんとかなってきた」ように思います。
もちろん失敗もあれば、うまくいかなかったことも山ほどありますが、何かで挽回できたり、ほかの抜け道や選択肢があったりしていました。
そして、起こる出来事もだいだい予想の範囲内…。
しかし、妊娠・出産に関しては事態がまったく違いました。
いいことも悪いことも、わたしの想像をはるかに超えた出来事の連続。
たとえば、
- 受精障害といわれて顕微授精までステップアップ
- 顕微授精を休んでいるときに妊娠
- 5回連続の流産
- あきらめかけた最後の胚移植で妊娠
- 予定日1週間過ぎてもうまれる気配なし
- 陣痛が縮まらないまま出産
これらは、経験するまで予想だにしなかった出来事ばかり。
いや、そもそも不妊治療や不育症の世界に足を踏み入れたこと自体が「まさかわたしが…!」でした。
こうして自分の妊活・不妊治療体験を振り返ってみて思うことがあります。
「頑張った甲斐があった」
と思えることって、ほんの少しだったなと。
ほとんどのことが
「自分の頑張りとは別のところ」
で物事が進んでいったなと。
妊活に「頑張る」という感覚は似合わない
「妊娠・出産は、自分の頑張りとは別のところで回っている」
もしそれが正解だとしたら、残念ながらたくさん頑張ったからなんとかなるものでもないということになります。(ただし医療的補助が必要な部分についてはしっかり対処していかないといけないと思います)
実際のわたしは120%くらい頑張っていました。
“それをやって妊娠するのなら”なんでもやっておかないと不安でした。(わたしが取り組んできたいわゆる妊活はこちらの記事で触れています↓)
でも、いま自分の不妊治療を振り返って、「これは頑張ってよかった!自分をほめたい」と思うことはたったのふたつだけです。
- あきらめずに通院したこと
- 気持ちを前向きに持とうと努力したこと
わたしの場合、高度医療に頼ったことは結果近道だったと思うのと、流産回数も多いので、メンタルをなんとかしようとしたことは正解だったと思います。
あとは、人並みに健康な生活は送っておいてよかったかなと思う程度。
ほかの頑張りがまったく無駄だったとは思いませんが、むしろ細かいことで一喜一憂し、ストレスの原因になっていたかも…。
二人目(次男)は、赤ちゃんを迎える気まんまんだった時期を過ぎ、「もうどうにでもなれ」とちょっと投げやりになったとき(脱力したとき)に、わたしのおなかに宿ってくれました。
わたしが頑張ったという感覚が強い時期と、次男がやってきた時期はまったく違っていました。
その時々のわたしの頑張りなんて、お構いなしでした。
神さまって本当に適当に、おなかに「ほい!」「ほい!」と命をなげいれてるんじゃなかろか。
子は授かりもの、というけど、むこうはもっと気楽で「ちょっとちょっと、しばらくお宅で預かってね」っていうノリか?
そんな気まぐれな神さまを相手に頑張ったところで、肩すかしをくらってしまいそうです。
妊娠って、つくづく「頑張る」という感覚が似合わない分野なんだと思いました。
あらためて心に刻みたい「授かりもの」という感覚
妊娠・出産を「自分の力でなんとかできる」ことだと思ってしまうと、あれもすべき、これもすべきと自分にいろいろなものを課してしまいます。
そして、結果が伴わないと、「こんなに頑張っているのになんで!」と成果を求める気持ちが強くなります。
さらに、「妊娠できないのは自分が頑張りが足りないからかも」というマイナス思考に陥りがちです。
でも、違うのです。
やっぱり子は授かりものであり、預かりものなのです。
だから、頑張りすぎない。
肩の力を抜いているくらいがちょうどいい。
7割くらいの気持ちでちょうどいい。
残りの3割。エネルギーを持て余すようであれば、心と体が楽しい!嬉しい!と感じることに費やしてみてはどうでしょうか。
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