自己紹介
はじめまして。
このブログにお越しいただきありがとうございます。
わたしは、36歳で長男を、42歳で次男を出産したアラフォー母です。
33歳から42歳までの約9年間、不妊治療をしてきました。
人工授精でも妊娠せず、体外受精でも妊娠せず、あっというまに顕微授精までステップアップし、治療開始から3年目に長男を妊娠・出産しました。
「そろそろ二人目を…」
38歳で 治療を再開。
しかし妊娠はしても“10週の壁”を越えられず流産の繰り返し。
不育症の専門病院で検査を受けます。
「次に妊娠したときはヘパリン注射だね」
わたしの流産はバファリンだけでは防ぐことができず、結局5回の流産を経てヘパリン注射を導入することに決まります。
ところが、最終的な治療方針がたったものの、今度はなかなか妊娠できない日々に悩まされます。
気付けば41歳。
30代のころのような治療の手応えはなくなったように思えました。
「もう妊娠することはないのかも…」
いやおうなしに治療の卒業を意識せざるを得なくなった頃、最後の1つだった受精卵で妊娠。
バファリン・ヘパリン注射併用で不育症を乗り切り、41週の予定日超過で3600グラムの次男が誕生しました。
ブログを書こうと思ったきっかけ
長い治療生活で大変だったことは山ほどありました。
- 結果が得られないまま、どんどんステップアップしていったこと
- 仕事の合間をぬって通院すること
- 安静にしていても流産を繰り返してしまったこと
- 切迫流産のたびに会社を長期で休まねばならなかったこと
- 職場に流産の報告をしなければならなかったこと
- 治療のやめどきと思っていた40歳になっても二人目をあきらめきれなかったこと
- 不妊治療に加え不育症治療にもお金と時間がかかってしまったこと
でも、これらすべては、大変といっても自分で望んで(覚悟の上で)したことです。
本当に大変だったのは、
「思うように授かれない」
という辛い気持ちを抱えながら毎日を過ごさなければならなかったことでした。
陰性で落ち込もうが、流産して悲しかろうが、明日はやってきます。
どんなに気持ちがついていかなくても、会社に行けば仕事がまっているし、街を歩けば幸せそうな親子が目に入るし、家に帰れば家事が待っているし、自分の日常を生きていかねばなりません。
「授かれない自分」という劣等感はいつも頭の片隅にありました。
たとえ目の前に楽しいことがあっても心が完全に晴れることはありませんでした。
そのうえ、必ず妊娠できるという保証はどこにもありません。
(もし、このまま授かることがなかったら、わたしはこの辛さを一生抱えて生きていくことになるんだ…)
と想像すると絶望的でした。
「人生には、どう頑張っても自分の思い通りにならないことがある…」
不妊治療、流産、不育症の体験から自分史上最大の挫折感を味わい、何とか、この救われない心を乗り越える術(スベ)を今からもたなければ…と考えるようになりました。
それ以来、治療を続けながら、
- どうしたら、できるだけ心を暗くせずに不妊治療を続けられるか
- 心に湧いてくるマイナスな感情をどう処理すればよいか
- どういう心持ちでいれば、日々を穏やかに過ごせるか
ということに意識を向けるようになりました。
不安や心配がなくなることはありませんでしたが、それでもなんとか、自分の感情を何とかやり過ごすこともできるようになってきた頃、次男を妊娠。ありがたいことにわたしは、出産という自分の望んだかたちで治療を卒業することができました。
このブログは、
わたしの不妊治療、流産、不育症からの妊娠・出産体験とともに、
授かれない日々であっても、できるだけ心を暗くせずに過ごすために試みた、治療中の気持ちの保ち方、辛さや悲しみの処理方法、やり過ごし方を書きたいと思ってはじめました。
うまく整理できていない部分もあり、
わかりにくいもの、共感を得られないものもあるかもしれませんが、
少しずつよくしていけたらと思っています。
不妊治療も流産も不育症の治療も孤独な体験だと思います。
いくら夫婦の問題と言われても、女性の方が圧倒的に抱えるものが大きいです。
一個人の体験ではありますが、
いま悩んでいる方々の心が少しでも軽くなり、
日々を穏やかに過ごすためのヒントになったらうれしいです。
参考
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