先の見えない不妊治療は、失うものばかり?
たまに、
「もしも不妊治療をしていなかったら…」
と思うことがあります。
わたしの治療期間は33~42歳までの約9年間。
30代という気力・体力ありあまる時期のほとんどを治療に費やしました。
金額面はどうでしょう。
わたしは採卵を4回、移植を10回行いました。
1回の採卵をざっくりと40万、移植を20万とすると360万円。
実際は胚の凍結料や不育症の検査費、治療費もありますから400~500万円くらいは使っているかもしれません。
もしも治療していなかったら、もっと仕事でキャリアを積めたし、もっと稼ぐことができて、もっとお金も貯まったはず。
治療に使っただけのお金があれば、旅行とか楽しいことに使うこともできたはず…。
仮に、人生をふたつ選べるなら、もうひとりの自分には、夫婦ふたりで充実した日々を送ってもらいたい気がします。
そちらはそちらで、穏やかで楽しい日々が待っていると思います。
でも、実際は人生はひとつしか選べなくて、わたしは不妊治療する人生を選びました。
ありがたいことに、わたしは治療の末にふたりの子どもたちに恵まれることができました。
でも、授かることなく治療を卒業した可能性もあるのです。
もしそうなったとしたら、わたしの9年間は時間とお金を失うだけの9年間だったのでしょうか。
この9年間から、わたしは何か得ることはできなかったのでしょうか。
不妊治療をしていたからこそ、家族としっかり向き合えた
陰性が続いていたときや流産したとき、この時間は、わたしにとってどんな意味があるのだろうとよく考えました。
何か、前向きな答えを見つけたいと思ったとき、ふと、
「いまは不妊治療を通して、この家族での時間を増やしてもらっているのだな」
と受け止めることができました。
夫婦なら夫婦なりの、ひとりっこ家族ならひとりっこ家族なりの、いまの家族のメンバーとの時間を増やしてもらっているのだなと。
このメンバーで過ごす今日という日は、二度とやってこない大切な一日。
だからもっと、主人や長男と向き合って、毎日を大切に生きないと、と思いました。
不妊治療中は、授かったら、いまより、もっとしあわせな日々が待っていると夢をみてしまいます。
夢みるのは悪いこととは思いません。
しかし、それによって、いまの生活をみじめでつまらないものと感じることは、いまの自分を否定するようで自分に申し訳ない気がします。
いまは、いまで、大切な毎日です。
いまの状況、生活を肯定してみること。
なかなか勇気のいることですが、そうすることで、少しは自分に優しくなれると思います。
不妊治療や流産は、必要な経験だったのか?
何度も流産を繰り返して落ち込んでいるとき、母は、わたしを励ますために何か役に立てることはないかと考え、同じような経験をした人の書籍を読んでみたそうです。
その本の著者は、
「不妊治療や流産は、わたしにとって必要な経験だった」
と語っていたそうです。
だからきっと、無駄な経験じゃないんだよ。
何かあなたにとって意味のあることなんだよ、いいほうへ動くよ。
と母はわたしを励まそうとしたのだと思いますが、渦中で苦しんでいるわたしは、とてもそうは思えませんでした。
不妊治療も流産も、体験せずに済むなら、そのほうが絶対いい。
やむを得ずやっているだけで、到底「これは必要な経験なんだ」と思える心境ではありませんでした。
神さまや仏さまではないのですから、それは当然ですよね。
でも、治療を卒業したいまなら、そういう考えも分かるなと思います。
自分の人生を振り返って、不妊症、不育症、流産体験以上に自分の力の及ばなさを感じた経験は、いまのところありません。
ほかにも自分の未熟さから失敗して後悔した経験はたくさんありますが、なんらかの解決策や代替案、ほかの選択肢がありました。
でも、不妊症、不育症、流産体験に関しては、努力だけではどうにもならず、ひたすら待つことを強いられ、精神力も忍耐も必要でした。
なんとかしたいけど、もう自分ではどうにもできないという挫折感を味わい、あれほど途方に暮れた経験はこれがはじめてです。
そして、これだけ長い間、ひとつのことを追い求め向き合ってきたことは過去にありません。
仮に今後、何かほかの苦難に襲われたとしても、
「何とか切り抜けられるのでは」
「わたしなら、きっと大丈夫」
と思えます。
そして、同じようなことで悩む人の力になれたらと思っています。
「不妊治療は、わたしにとって必要な経験だったのか?」
そう問われると、それは経験しないに越したことはないのです。
でも、経験してしまったら、そこから得られるものもはゼロではないことは、はっきりと言えます。
それを糧にしないわけにはいかないです。
こんなに苦労したのだから!(笑)
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