こんにちは。不妊・流産・不育症経験者の やまだ ひまわりと申します。
わたしのブログでは、望まぬ現実(不妊・流産…)に直面したときに、いかに心おだやかに過ごすかを実体験をもとに書いています。
この記事では、わたしが42歳で二人目を出産するときに、「出生前診断を受けない」と決めた理由について書いています。
その時の考えや気持ち、周囲の意見をまとめました。
出生前診断とは
出生前診断にはさまざまなものがあり、広義では妊婦検診で受ける超音波検査も出生前診断のひとつと言えるかもしれません。
そのなかで、わたしが受けるかどうか悩んだのは、新型出生前診断(NIPT)です。
新型出生前診断は、採血により、母体の血液に漏れ出てくる胎児由来のDNAを調べることで、胎児に3つの染色体変化がないかを調べるものです。
3つの染色体変化とは、13トリソミー、18トリソミー、21トリソミー。
21トリソミーがダウン症候群です。
結果は 「陰性」「陽性」で表されます。
ただし、新型出生前診断は非確定的検査で結果が間違っている可能性もあります。
そのため診断を確定するためには、羊水検査などの確定的検査を受けることになります。
受けると決めたら迷わないこと
主治医から出生前診断の話が出たのは、9週の頃でした。
胎児のエコー画像を見たわたしが、首後ろのむくみ(NT)を疑っていたときに説明を受けました。
その際に言われたのは、
「受けると決めたら迷わないこと」
とても重い言葉でした。
新型出生前診断を受けないと決めた3つの理由
病院を出た帰り道、まずは一人で考えてみました。
直感的に、「仮に障がいがあったとしても知りたくない」と思いました。
なぜ自分がそう思ったかを、さらに考えてみると、そこには3つの理由がありました。
生まない選択肢がなかったから
出生前診断で陽性になった人の9割が中絶を選択したという報告があります。
検査を受けた先には、そういうもっと難しい問題が待っています。
わたしには、今回の妊娠で中絶という選択肢はありませんでした。
不妊治療の末に授かった命を、不育症のために5回失い、それでもなお授かった命でした。
わたしにとって最後の妊娠になるかもしれず、それを自分の意思で中断するということは、どうしても考えられませんでした。
赤ちゃんの先天性疾患が分かったとして、妊娠中に治療ができるわけでもないのなら、わたしには出生前診断を受ける理由はありませんでした。
すべての障がいが分かるわけではないから
新型出生前診断でわかる染色体異常は3つだけです。
しかし、胎児の先天性疾患は、それだけではありません。
生まれてから発覚するものもあり、新型出生前診断で分かる3つの疾患だけを調べることに疑問がありました。
流産を経験したからこそ思う「命はすべて尊い」
親がどんなに慎重になっても、どれだけ気を付けても生まれてこない命があります。
それが、わたしが流産を繰り返すなかで教えられたことです。
「この世に生まれる命はすべて尊い」
そう考えると、この子の運命を決めるのは、わたしではないように思いました。
わたしがしてあげられることは、障がいがないかと心配して過ごすことではなく、お腹の中が居心地よくなるよう、明るくおおらかに過ごすこと。
できればそうしたいと思いました。
夫の意見
悩みはしたものの、わたしの答えは、心の中では最初から決まっていたかもしれません。
でも、これは夫婦の問題でもあります。
夫にも相談しました。
返ってきた答えは予想に反して、
「受けてみたらいいんじゃない?」
でした。
実は母に意見を求めたときも、同じ答えが返ってきたのです。
わたしは、自分の考えとして「受けなくていい」と思っていることと、その理由を説明しました。
話すうちに、夫も母も、そもそも出生前診断が、どんな性質の検査なのかを詳しく理解していなかったことが分かりました。
ふたりとも、
「生まれてくる赤ちゃんのために受けられる検査があるなら、受けたらいい」
「受けることで早期発見になって、早く治療を受けられる」
というふうに捉えていたようでした。
でも出生前診断は、いわゆる健康診断のような早期発見を目指す検査とは性質の違う検査だと、わたしは思っています。
最終的には夫がわたしの意思に同意する形で、出生前診断は受けない方向に進みました。
答えは夫婦の中にしかない
わたしたち夫婦も、仮にいまとは違う状況に置かれていたら、出生前診断を受ける選択をした可能性はあると思います。
この事について一通り考えてみて思ったのは、出生前診断を受ける受けない、そして先天性疾患が分かったときにどうするかは、夫婦の中にしか答えはないということ。
出生前診断は「命の選別」につながるという否定的な見方もありますが、夫婦の事情はそれぞれで、ひとくくりに批判することはできないと思いました。
知りすぎることが、幸せなのか?
一方で、「知りすぎることが、本当に幸せなことなのか?」ということを、とても考えさせられました。
わたしが生まれた時代は超音波検査すらなかったと聞きました。いまは3Dエコーも当たり前になり、本当にいろいろなものが「見えてしまう」時代なのだと思います。
でも、本当にそこまで知る必要があるのか?
知ることで、幸せになれるのか?
出生前診断を受ける理由のひとつに「あらかじめ子どもの障がいの有無を知っておくことで、迎え入れる準備ができる」というのがあります。
でも、皮肉なことに「迎え入れよう」と決意している人は、この検査をあまり受けていないようにも思えます。
もし、わたしが検査を受けていたら、ただでさえ不安だらけのマタニティライフを、もっと落ち着かない気持ちで過ごすことになっていたでしょう。
たった10か月しかないマタニティライフ。おだやかに、幸せに満たされて過ごしたい。それが願いでした。
根拠のない「大丈夫」に救われることも
妊娠10週の頃、赤ちゃんの首後ろにむくみがあるような気がして、わたしはとても不安な日々を送っていました。
そんなわたしを、母が、
「大丈夫。大丈夫。お母さん何にも心配しとらんよ」
と励ましてくれました。
特に根拠のあるわけでもない母の一言でしたが、わたしの倍生きてきた人の言う「大丈夫」は説得力があって、無条件に安心できたのを覚えています。
そして、
「母親になるって、すべてを受け止めることなのかも」と思ったのでした。
検査を受けるかどうか…?それは命について考えること
出生前診断は受けませんでしたが、42歳で出産する以上、不安はありました。
でもそれは、検査を受けたとしても同じこと。
どちらを選択しても、完全に気持ちがスッキリすることはないのだと思います。
だからこそ、医師から言われた言葉、
「受けると決めたら迷わないこと」
そして、
「受けないと決めても迷わないこと」
はとても大切なことだと思いました。
出生前診断を受けるかどうかは、自分で決めるしかありません。
でも、悩んでいる人も、自分の中ではある程度答えを持っているんじゃないかと思います。
ただ、自分の中で9割答えが出ていても、誰かに背中を押してもらえないと自信が持てないこともあります。
この記事が、どなたかの助けに少しでも嬉しいです。
出生前診断がどうあるべきか、わたしの中で結論は出ないままです。
でも、命について考える機会を与えてもらったことには、大きな意味があったように思っています。
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