採卵を迷っていたら、予想外の妊娠
1回目の流産の後に話を戻します。
自分に不育症のリスク因子があることは後にわかるのですが、
はじめの流産では、そんなことは疑いもしませんでした。
なぜなら、
「流産は誰にでも起こり得ること」
だから。
35歳以上の流産率は20%程度といわれます。
当時の私は38歳。
ちょうど、流産率のグラフのカーブが急勾配になりはじめる(そのあたりから確率が上がる)年齢でもあります。
先生からもそれほど心配されず、
「2回くらい生理を見送ったら、次のことを考えましょう」
と言われていました。
もう凍結胚はないので、顕微授精をするなら採卵からのスタートです。
しかし、もう一度採卵するかは悩みました。
採卵って結構大変です。
連日の服薬や注射があるし、手術では全身麻酔も使います。
長男出産後は、とりあえず残りの凍結胚を戻すことしか考えていませんでした。
それは、「二人目が欲しいね」と具体的に考えていたというより、
「凍結胚が残っているから、まずは戻そう」という気持ちでした。
でも、それで妊娠して「二人兄弟」という家族のイメージを一度想像してしまったことで、
「できることならもう一人」と思うようになりました。
「ひとり授かっているのだから、あとは自然に任せてみるのでもいい…」
「そうはいっても、顕微授精でないと妊娠できないかもしれない…」
ふたつの気持ちの間でスパッと決断できずに悩んでいたときに、妊娠したのです。
これには驚くばかりでした。
でも、高度な医療に頼らなくても、自分にも妊娠する力がちゃんとあると分かり嬉しかったです。
喜びもつかの間、2回目、3回目の流産。一人生んでも不育症?
でも結局、初期からの不正出血に悩まされました。
間もなく絨毛膜下血腫になり、確認できた心拍もやがて止まってしまいました。
妊娠8週の稽留流産でした。
切迫流産なのに普段通りの生活をしていた前回の反省から、診察直後から仕事を休ませてもらって自宅で安静にしていましたが、結果は変わりませんでした。
「今回の妊娠はプレゼントみたいなもの。またチャンスはある」
そう思って、体調を整えながら次のことを考えているうちに、またしても妊娠→流産ということが私の身に起こります。
「今回も出血してしまうかも」という不安は現実となりました。胎嚢までしか確認できませんでした。
妊娠したことには、もう驚きしかありませんが、流産までセットでついてくるとは…。
2回目までは、
「年齢を考えると仕方がない」
と思っていましたが、3回連続となると見え方も変わってきます。
赤ちゃんの生命力なのか、それとも私に原因が…?
「一人生んでいても、不育症ってあるのですか?」と主治医に聞いてみました。
そういうケースもあるようです。
不育症とは「胎児が育たないなんらかのリスク因子を持っている」ということなんだそう。“リスク”だから、それを持っているから100%出産できないかというと、そうではない。それをすり抜けて生まれてこれる場合もあるそうです。
不育症の世界へ…。スクリーニング検査を受ける
私がもともと不育症のリスク因子を持っていたのか?
それとも一人出産後に何かが起こったのか?
先生のすすめで、通院中のクリニックで不育症スクリーニング検査を受けることになりました。
…この時に、不育症専門クリニックも紹介されました。通院するか悩みましたが、当時は自分がそこまで深刻な不育症であるという実感がわかず(一人生めたし)、流産もたまたまかも?という思いも強く、気が進みませんでした。不育症のクリニックは「初診2ヵ月待ち」と聞いてなおさらげんなりし、「だったらいまの病院で受けられる検査でいーや」と判断しました。
検査は血液検査で、複数のリスク因子を調べます。
結果、プロテインSという血液凝固因子の数値が低めであることがわかりました。
プロテインSは血液凝固を防ぐ働きをします。
だから、これが少ないと子宮内に血栓ができやすい→毛細血管が破れ血腫に→胎児に酸素がいかなくなり流産をおこす、というわけです。
こうして次の妊娠にそなえて、不育症の血栓予防に使われる小児用バファリンを服用することになりました。
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