治療中から、二人目を諦める心の準備をはじめた理由

不妊治療
Photo by ラッキーエー(photoAC)
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治療中からはじめていた、諦める心の準備

前の記事で、
「不妊治療のやめどきは、急いで決めなくていい」
「やめどきは、ゆっくり訪れる」
と書きました。

一方でわたしは、「やめどき」を意識するようになってから、「(二人目を)諦める心の準備」もするようになりました。
準備というか、覚悟というか…。

ちょっとややこしいのですが、わたしのなかでは、「不妊治療をやめること」と「二人目を諦めること」は一緒ではありませんでした。

「治療のやめどき」を意識しはじめたのは、環境や体の変化、治療の手応え、気力の低下などから「もうこれ以上治療を続けても意味がないかも。自分たちのためにはならないかも」と感じてのこと。

じゃあ、そのとき既に「二人目を諦めること」ができていたかというと、まったくできていませんでした。

だから、正直、辛かったです。
「二人目がほしい」という思いは、わたしの望みでありつつも、あるときから苦悩でもありました。

辛い気持ちをなくすためには、
「二人目がほしいという気持ちが薄くなればいいのだ…」
と思いました。

「どうしても二人目がほしい」
から
「できれば二人目がほしい」
へ。そして
「二人目がいたらいいけど、いなくてもいい」

これくらいの心境に、なんとかなれないものかと。
そうすれば辛く感じないのではと。

もし仮に、「二人目がほしい」という気持ちが強いまま、治療をやめることになったら、もう未練タラタラで、また辛い日々を過ごさねばなりませんた。

未来の自分が傷つかないためにも、心の準備をしておきたかったのです。

諦めの悪い自分が辛かった

さかのぼって、不妊治療をはじめた頃から、やめどきを意識するようになるまでの心の変化を振り返ってみました。

<治療をはじめたころ>
「近いうちに授かるだろう」と根拠はないけど信じている。
子どものいない生活についてはあまり考えていない。

<長男の誕生>
「ひとり授かったのだから、二人目も叶うだろう」と漠然と思い、顕微授精を再開する。

<度重なる流産>
はじめは「よくあること」と思っていた流産が3回、4回、5回と続くうちに心は闇へ…。
一方で、不育症の原因を見つけて対処することが「次こそは大丈夫…」と前に進む原動力になっていた。

<顕微授精でもなかなか妊娠できない日々>
41歳。体の衰えを感じ、「二人目は叶わないかも…」と思いはじめる。
治療の卒業、二人目を諦める覚悟も必要と思いはじめる。

こうやって、治療の終結を視野に入れはじめた41歳の秋から、気持ちの整理もしていかなければと思うようになったのでした。

わたしは、「次が最後」「次が最後」と思いながら、いつまでも治療をやめられなくなってしまう自分を恐れていました。

これまでも、あんなに流産が続いて
「もう、こんな悲しみはこりごり…」
「わざわざ苦労する道を選ぶのはやめて、いまを楽しめばいいのに…」
「目の前にない存在にすがっていていいんだろうか…」
と何度も思っているのに治療をやめられませんでした。

どうしても、
「もしかして、次頑張れば…」
と思ってしまうのです。

不妊治療を続ける自分に対して、
「もしかして、わたしは、ただ諦めが悪いだけなのかも…?執着しすぎなのでは…?」
と自問自答することもありました。

ひとり授かっていて、またく願いが叶わなかったわけじゃない。それなのにわざわざ茨の道を進もうとする自分自身が辛かったです。

未来からいまへ、気持ちを向け直す

では、二人目を諦める心の準備として、わたしは何をしたか…?

わたしが意識的に行ったのは、「気持ちをいまに向けること」でした。

治療中は、先のことばかり思い悩んで、いまがおろそかになってしまうこと、ないですか?
あるいは、日々の食事や運動など、あらゆることを妊活目線で見てしまい、目の前の出来事を純粋に楽しめていなかったりしませんか?

そんな状態から抜け出して、治療は続けていても、「いまのままでも幸せかもしれない」という気持ちが芽生えれば、ちょっとは気持ちが楽になるのではと思いました。

わたしが実際に取り組んでいたのは、「引き寄せの法則」のカリスマ・奥平亜美衣さんがすすめる「いいこと探し」です。

日々の生活から「いいこと」を探して、幸せを感じていい気分になる。

未来のことばかり考えて、心ここにあらずだったわたしには、いい訓練でした。

亜美衣さんの言葉をお借りすると「人生は思い通り」だそうです。
「いまこんなに辛い」と思っていたら、辛い未来しか引き寄せないそうです。
(「引き寄せの法則」との出会いは、また別の機会にまとめたいと思っています)

だから、叶っていない願いは一旦脇に置いて、目の前のいいことを探す。
すると、いまの自分の生活には、想像以上にいいこと、幸せなことがたくさんあることに気づきます。

実際は、いいことを自発的に探すようになってから、小さなこと、些細なことでも嬉しい、ありがたい、と思えるようになったというほうが合っているかもしれません。

少しずつ心の切り替えができるようになりました。

いまの生活の充実感を感じられるようになりました。

一見、辛くて長い不妊治療の期間さえも、「いまは、この家族での時間を増やしてもらっているんだな」と感じたりもしました。

妊娠できない日々を送るなか、未来からいまへ気持ちを向け直し、目の前にある幸せをたくさん感じるよう意識することで、
「どうしても二人目がほしい」
から
「できれば二人目がほしい」
くらいには、心境が変わっていきました。

「二人目がいない生活もありうるのだな」と冷静にみつめられるようになってきたのです。

「もうひとり授かったら夢のようだけど、もしかして、このままかもしれない」
「叶う夢もあれば、叶わない夢もある。悔しいけれど」
「子どもを迎えたいなら、いまを大切にしないと」
「家族で楽しく暮らしていれば、赤ちゃんが我が家を選んでくれことも、あるかもしれない。そしたら、それはそれは夢のよう」

心は行ったり戻ったり。

ですが、揺れながらも気持ちを整理していくと、ある頃から、本当はもう「頑張った結果がひとりっこなら、仕方がない」と思えている自分に気づきました。

凍結胚移植真っ最中だったけど、
「二人目を授かれば、それは幸せだけど、仮にこのままでも、わたしたち家族なら幸せでいられる」

そんな気持ちが芽生えました。

ずっとずっと、二人目に向けて頑張っていたわたしには、これは本当に大きな心の変化でした。

治療を卒業する前だからこそ、やっておきたい心の準備

ずっと不妊治療を続けてきた人にとって、「子どものいない生活」「授からなかった自分」を受け入れていくのは、とても辛く、長い時間のかかる作業だと思います。

そういった心の整理のほうが、治療そのものより、よっぽど苦しい作業かもしれません。

わたしは先ほど「心が変化した」と書きましたが、決して、霞が晴れるようにスッキリとしたわけではありません。
二人目以外の道が、やっとうっすらと見えるようになったかな…。
それくらいです。

でも、その心の変化は、大きな一歩でした。

その心の変化が先になければ、そもそも治療をやめる気には、到底なれないような気もします。

だから、いつかは卒業しなければならない、その時のために、
「子どもを授かれば嬉しい。でも授からなくても、わたしたち夫婦(家族)なら大丈夫」
という強い気持ちを、ほんの少しでも心の中に持っておけたらと思ったのです。

治療を平行しながら、いまのままの生活が続いても、できるだけ楽しく生活できるように、受け入れられるよう心を整えていく。

「どっちになっても、わたしには幸せが待っている」

そう思えることで気持ちもリラックスできて、それがよい結果をもたらすこともあるかもしれません。

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